松葉谷法難会
2022年8月27日
日蓮聖人の四大法難の一つで、日蓮聖人が鎌倉松葉谷の草案を暴徒に夜襲された日に営む法会です。
日蓮聖人が、文応元年(1260年)7月16日に、鎌倉幕府五代執権北条時頼に「立正安国論」を提出しました。その内容が当時すでに起こっていた地震や異常気象、疫病や飢餓が、法然をはじめとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものだと、厳しいものでした。
それだけに、幕府へ宗教政策の転換(法華経を正法とする)を促すものでした。
政治の当局者をいさめる行為。時頼は、事を荒立てるのを嫌い、聖人の予言・警告を無視しました。
しかし、幕府上層部の念仏信徒が、聖人の暗殺を企てたのです。
当時、日蓮聖人は、今でいうところの神奈川県鎌倉市にある松葉谷に草庵(後の法華堂)を構えていました。
文永8年(1271年)の龍口法難までの約18年間、布教活動のための起居の場所でした。
ところが、「立正安国論」提出から約1か月後の8月27日に、上層部にそそのかされた念仏信徒(浄土教信者)によって草庵を夜間襲撃され、焼き討ちされたのです。
その時、どこからともなく現れた白猿に導かれ「お猿畠」へ避難されたそうです。
日蓮聖人は「法華経を弘めようとする者に大難があることは覚悟している。大難がなければ法華経の行者ではない」と以前にも増して法華経信仰を強められました。