1. HOME
  2. 雑司が谷七福神

雑司が谷七福神

大都市東京池袋近郊にありながら、

緑や情緒のある風景の雑司が谷は、

日本ユネスコ協会連盟の

未来遺産に登録されています。

雑司が谷七福神とは、

二千十一年より始まった町おこしとして、

豊島区と文京区にわたり自然や文化を感じながらの

七福神巡りを言います。

清立院と毘沙門天

七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。

七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かるといわれています。

その中で毘沙門天は、仏教では持国天・増長天・広目天と共に四天王の一人に数えられる武神です。
また、インドにおいてはもともと財宝の神とされていました。それが中央アジアから中国に伝わる過程で武神・守護神としての信仰が生まれました。
そして威徳無量にして勇気を授ける武運の神として尊崇を集め、開運勝利と共に財宝富貴の福を授ける事で七福神のひとりとなりました。
七福神の信仰が始まったのは室町時代ですが、現在のような形で親しまれるようになったのは江戸時代からといわれています。

当寺では400年以上も前から、毘沙門天が鎮座していたと言われております。

清立院の毘沙門天像は、豊島区指定文化財であり日本ユネスコ協会連盟の未来遺産に登録されています。

その他の雑司が谷七福神

恵比壽神

大鳥神社
正徳二年(1712年)疱瘡除けの神として創始。以来雑司ヶ谷一体の氏神として崇敬されている。江戸時代から続く酉の市は雑司ヶ谷の風物詩の一つ。地誌によれば、創始時には恵比壽神が合祀されていた。
豊島区雑司ヶ谷3−20−14

大黒天

雑司ヶ谷鬼子母神
拝殿・相の間・本殿からなる豪壮なお堂が深い木立の中にどっしりと構え、江戸後期には将軍の御成もあったという歴史と格式を感じさせる。大黒堂に祀られる大黒天は鬼子母神の夫神に当たる。
豊島区雑司ヶ谷3−15−20

弁財天

観静院
昔は一面の梅林であった。中には天神堂があり、加藤清正は御神体を供奉し、文禄・慶長の役をまっとうする。後年尊像はこの地に還るが、元の梅林は拓かれ、当院が創設されていた。芸事上達祈願の神・弁財天を祀る。
豊島区南池袋3−5−7

布袋尊

中野ビル
中野家は大阪城の石材供給地小豆島の出身である。7代目は布袋尊を護持し、皇居の二重橋や国会議事堂等の石造建築を手掛けた。尊像は戦火を被ったが、今は池袋復興のシンボルとして地域に親しまれている。
豊島区南池袋2−12−5

華の福禄壽

仙行寺
江戸時代初期創立、小石川・白山にあった善行院と隣接の仙応院が合併して仙行寺と改称、今日に至る。戦災により全堂宇を消失したが、石像浄行菩薩像のみが残る。木彫妙法福禄寿像を安置する。
豊島区南池袋2−20−4

吉祥天

清土鬼子母神
雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神尊像は清土のこの地から出土した。清土出現所とはここからついた名前だが、地元では親しみをこめて清土鬼子母神と呼んでいる。吉祥天はこの鬼子母神の娘神である。
文京区目白台2−14−9

毘沙門天

清立院
約770年前、真言宗・清龍寺として創立。後に村を疫病から救った雲水が日蓮聖人像を寺に残したことから日蓮宗・清立院ち改める。雨乞いと皮膚病の祈願寺として尊崇された。木彫毘沙門天像は、豊島区指定文化財。
豊島区南池袋4−25−6

雑司が谷七福神巡りのご案内